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1823: Hisamatsu Fūyō's Hitori mondō

独問答

By Hisamatsu Fūyō, 久松風陽, 1791-1871 (acc. to komuso.com)


Here presented and commented on in modern Japanese by Kishi Kiyokazu, 貴志清一, 2016

In Spring 2012, Kishi Kiyokazu, 貴志清一, of the Shakuhachi suisō kenkyūkai,
尺八吹奏研究会, "The Shakuhachi Performance Research Society", published a web article in three parts presenting the full text of Hisamatsu Fūyō's, 久松風陽, essay Hitori mondō, "Solitary Dialogue", written in 1823.

Kishi Kiyokazu's fine article includes Hisamatsu Fūyō's original, classical Japanese text in reprint, his rendering of the text in modern Japanese, as well as supplementary notes and an analytic discussion of the text.

Link to 尺八吹奏研究会HP - The Shakuhachi Performance Research Society HomePage


Kishi Kiyokazu

Kishi Kiyokazu

More information regarding Hisamatsu Fūyō's work and significance has been added at the bottom of this webpage.


これは 2012 年の尺八吹奏研究会 3,4,5 月号の記事です。

久松風陽の「独問答」を読む(前、中、後)

貴志清一

(前)
江戸時代後期、多くの虚無僧達が宗教者として堕落していった時に果敢にも禅的尺八を追求した人物、それが久松風陽です。
 会報2002年6月号では風陽の著した「独言」を紹介していますのでお読みになった方も多いと思います。
 この「独言」の5年後に同じような内容ですが「独問答」を著します。
“尺八は気息について己を修行す、禅器ならずしてなんぞや”、訳しますと、“尺八は気合いの入った息を出し、その息を鍛錬し、そのことによって精神を修行するのだから、その行為は禅そのものだし、したがって尺八は禅器である”と「独問答」にあります。
 尺八の精神性を強調するのは大切なのですが、“誰でも、尺八を吹けば禅になる”という安易な考えを久松風陽は戒めています。
 これは江戸時代に限らず、現代の尺八界にも当てはまることだと思いますので今月は「独問答」紹介させていただきます。
 文語体を解しにくい若い尺八奏者のために、不才を顧みず現代語訳もつけたいと思います。明らかな誤りがあるときは、どうかご教示くだいますようお願いいたします。(文末の尺八相談のメールアドレスをお使いください。)


(Part I)

「独問答」(久松風陽著 約200年前)

(#1)
△ 或人問て曰く、尺八は何のために吹くや、
○ 答曰 何のためにもあらず、好める故に吹くなり、
(訳)
・ 尺八は何のために吹くのですか?
・ 尺八は何か役に立つとか、そういう、何かの目的のために吹くのではなく、吹くのが好きだから吹くのだ。

(#2)
△ 問 然からば無益の具にあらずや、
○ 答 無益の物にあらず。尺八は禅器なり。猥りに扱ふべきものにあらず。
(訳)
・ そうすると、尺八は何の利益もない道具ではないでしょうか?
・ いや、尺八は無益なものではない。尺八は禅の修行の道具だ。おろそかに扱ってはいけないのだ。

(#3)
△ 問 何故に禅器なるや、
○ 答 三世、ものとして禅味ならざるはなく、事として禅味ならざるはなし。就中尺八は余の鳴物とおなじからず。気息について己を修行す。禅器ならずして何ぞや。然りといへども理をはなれたるをもって要とすれば、俗人に対して解事かたし、
(訳)
・ どうして禅器といえるのですか?
・ 過去、現在、未来にわたり、物というのはすべて禅の要素を持っている。また、いろんな世の中の事柄も禅の要素を持っている。特に尺八は禅味の強いもので、他の楽器とは違うのである。尺八というのは自分の精神力と吐く息によって修行をするのであるから、禅器そのものである。しかし、それは理屈では説明できないことが一番の肝心なところであるので、一般の人には理解することが難しいのである。

(#4)
△ 問 尺八に理なしといへども、一と言、二といふも是、理ならずや。
○ 答 理を尽して後に理をはなれたると理外の妙とす。こは尺八に限る可からず。
(訳)
・ 尺八は理屈ではないといっても、一とか二とかいう言葉ですら理論でつかう言葉ではないですか?
・ 理論的説明を十分して、それでも理論では説明し尽くせないことを名づけて「理外の妙」と言っている。これは別に尺八だけではない。

(#5)
△ 問 しからば先、理にあたる処を論ぜよ。
○ 答 汝、口かしこくむつかしき事をいへり、不論時は尺八を無益の具とせむ故に十にひとつを言ん。尺八を吹は上は天下のため、下は其身の為也。
(訳)
・ 「理論的説明を十分して」と仰ったのですから、その理論を述べてください。
・ あなたは弁舌が上手く、難しいことをいう人だ。もし私が理論的なところを言わなかったら尺八は無益な物にされてしまうだろう。ではその理論の十分の一なりとも説明しよう。まず、尺八を吹くというのは、大きく言えばこの世の中の為であるし、小さく言えば自分自身の為になるのだ。

(#6)
△ 問 何をもって身のため、天下のためなるや。
○ 答 貪欲をはなるるを要とせざれば、竹を吹くとも業ならず、己が心を錬るを専とせざれば、奥妙には至らず。貪欲をはなれ心を錬る時は、人自から直にして潔白なり。一人たりとも直にして潔白なる時は天下のためならずや、又其身のためならずや。
(訳)
・ どういう理由で尺八を吹くのが自分自身のためになり、世の中の為になるのですか?
・ 尺八というものは、貪欲な気持ちを避けるように心がけなければ、吹いていても本当の音にはならない。また自分の心を高め修養しようとしなければ尺八の奥深い段階には到達できない。貪欲を離れて、心を修練する時は、人は自然に素直になり、潔白になる。この世で一人でも素直で潔白な人間が居ればそれは世の中のためになるだろう。また素直さや、潔白さを持つということはその人の為になるのは当然である。

(#7)
△ 問 普化禅師はいかなる人ぞ、
○ 答 知らず、禅家の知識に問へ、
(訳)
・ あなたの言う“世のため、その身のため”というのはよく分かりました。ところで尺八は禅器と仰いましたが、普化宗のでいう「普化」禅師というのはどんな人なのですか?
・ 私は、普化禅師がどんな人物かは知らない。禅宗の学問のある、よく知っている人間に訊きなさい。

(#8)
△ 問 普化は尺八の祖ならずや、其の道を学んでそのもとを知らざるは未熟にあらずや。
○ 答 予は尺八の根元を知るが故に、かへって普化を知らず。普化は明悟の人なり。何ぞ尺八を吹て悟道を学ばんや。予がごとき愚智文盲にして、好んで尺八を吹き、漸く尺八の禅器たるを知るの徒と日を同ふするのみ。普化もし尺八を吹といふとも、 唯一時の戯れなるべし。其業においては予が累年の修行に及ぶ事なし。今世普化再来して尺八を吹くことあらば、必予が門下に来て道を問ん。普化一世の録を見て普化の始終を知りたりとも、普化の悟りたるを知らざれば普化を知らざるなり。 普化の始終を知らずといふも、普化の悟りを知りたる者は、則普化を知れるなり。予は未だ知らず。
(訳)
・ 普化禅師は尺八の始祖でしょう。その始祖が始めた尺八を学んで、その根本の普化禅師を知らないというのは未熟そのものではないですか?
・ 私は尺八の根源、一番の基礎を知っているので、普化禅師は知らないのです。普化は極めて深く悟りを開いた人です。そんな人が尺八を一生懸命吹いて悟りの道を学ぶでしょうか。 私の様な愚かで何も知らない人間が一生懸命好きな尺八を吹くことによって、“尺八は禅器”なのだ、またこの禅器によって悟りの境地に近づけるのだとやっと分かってきたです。
 ですから、尺八を介して悟道に至ることをしなかった普化禅師が、もし尺八を吹いてもそれは単なる戯れに過ぎないでしょう。禅の修行として長年修行してきた私の尺八の高さには、普化の吹く戯れの尺八はとうてい及ばないのです。 今、もし普化禅師が再来して尺八を始めるとすれば、きっと私のところにきて尺八による禅の道を聞きにくるでしょう。
 知識として普化の一生の行跡を「臨剤録」などで知っても、普化が悟ったことを知らなければ、普化禅師を知ったことにはならないのです。また普化の一生の行跡を知らなくても、普化の悟ったところを知れば、普化を知ったことになるのです。
 ただし、私は普化の悟ったところは知らない、したがって私は普化は知らないのです。


(Part II)

久松風陽の「独問答」を読む(中)

(#9)
△ 尺八に十二律具りありや、
○ 答 竹は長短細太に因て一律は具るなり、十二律はなし、十二律は天地間と人身とに有、天地間の律を暫らく管中に止むれば人身にかんず。かむずれば人身に具りある十二律自ら発す。 されども其人の性質により律にさとき者あり、又うときものあり。うとき者は教るとも知ることなし。知る者は自ら知るなり、
(訳)
・ さて、尺八についてですが、尺八はオクターブに半音ずつあるという12の律が具わっているのでしょうか。則ち、一越、断金、平調、勝絶、下無、・・・・上無までの12律です。
・ 尺八はその長短や細い、太いによって一つの基音は具わっている。長さと太さが決まっているのだからすべてを塞いだ音は一つで、12もない。音楽でいう十二律は天と地の間にある。また自分自身にも十二律は具わっている。  この世に存在する十二律を尺八によって、すなわち、指やメリカリによってそれぞれに対応した律を共鳴させると、体に感じるものだ。体に感じれば人間の内にある十二律の認識能力が働きその律の音を出すことが出きる。しかし、人によって、 律=音の高さに敏感な人もいるし、疎い人もいる。疎い人はこの十二の音の高さ(律)を教えてもどうしても理解できない。また敏感な人は教えなくても分かるものである。

(注釈)上記の文はあくまでも、久松風陽が思っていることで、それが正しいか間違っているか、またはどちらとも言えないのかは別問題です。
 私(貴志)は「律=音の高さに疎い人もいるけれど、適切な訓練を積めば遅い・早いの違いはあるにしても、だんだん音の高さに敏感になることができる」と考えています。

(#10)
△ 問、尺八に上下二穴、表四、裏一穴、節を七つと定め、丈を一尺八寸と極む、ひとつひとつ、よ(拠)り所ありや、
○ 答 尺八は禅器なるが故に、一尺八寸と定め尺八と号し一つ一つ名付時は天地陰陽より発(おこ)りて一朝に言尽すべからず、己が見識にて様々名付けたりとも、くだくだし。 夫れを知りたりとて上手にもあらず、知らざればとて下手にもあらず、知りたき人は学んで知るべし、予は嘗て知らず。唯吹けば鳴るものと思ふのみ、
(訳)
・ 尺八には歌口と管尻の二つの穴があります。表に指穴が四つ、裏に一つ穴があります。そして、節を七つと決め長さを一尺八寸と決めています。その穴や節、また、長さに根拠があるのでしょうか?
・ 尺八は禅の修行の器で、その長さを一尺八寸と定めて「尺」と「八」をとって尺八と呼んでいます。穴や節に名前を付けるときは天地、すなわちこの世界の陰陽の気から類推して名づけるので一日や二日で言い尽くすことは出来ない。 また、自分のたくさんの知識を以ていろいろとこじつけてみても、くどくなるだけだ。そのような知識を知ったからといって尺八が上手になるわけでもなし、知らなかったとしても下手ではないだろう。知りたい人は学んで知ったらいいだろう。 私はそんなことは知らない。ただ尺八は吹くと鳴るものだとだけ考えている。
(注釈)
 この部分は、江戸時代の尺八について書かれた文書等を知らない現代人には意味が解らないと思います。
 尺八は禅器だから、尺八自体が壮大な世界を体現していると考え、穴や節にいろいろな名前や由来を考えたのです。
 塚本虚童『古典尺八及び三曲に関する小論集』p349に紹介されている尺八秘書(愛知県西尾市立図書館蔵岩瀬文庫)の図版がたいへん参考になります。 たとえば歌口は「天地で言えば“天”であり一年で言えば“正月”にあたり、方角は“子(ね)”、密教の教えでは“金剛界”であり、ここは“乾胎門”である。」等々。 会員のみなさんには岩瀬文庫原本のコピーの図を文末に添付していますので、時間のある時に解読してみてください。江戸時代の虚無僧や尺八吹きの精神を垣間見ることができるかと思います。

(#11)
△ 問 竹に下穴より一二とかぞへ上るもの有。又上穴より一二と算へ下る人有、いづれを是として、いづれを非とせん、
○ 答 是とすれば何れも是なり。非とすれば何れも非なり。元来一二といふも人作にして、竹に天然備はりたるものにあらず、上より下るを能(よし)と思ふものはそれを是とし、下より上るをよしと思ふ人はそれを是とし、 中より一二と算へたき人は中よりかぞへよ、予は下より一二と覚えたれば下より上るを是なりとす。奥妙に至らば下を一とする事分明なり。自得せば始めて夢の覚めたるごとくならむ、然れども人に対して穿鑿せず、無益の時日を費すをおしむ。
(訳)
・ 尺八には孔を下の孔より上へ一二三四と数える人がいます。また表の上の孔から下へ一二三四と数える人もいます。どちらが正しいのでしょうか。
・ その人が“正しい”と思うならそれは正しいし、“間違いだ”と思うならそれは全て間違いです。それは、一孔、二孔と名前を付けたのは人間で、別に尺八がもともと持っていたものではないです。 上から一二と数えるのが正しいと思う者はそれが正しいのだし、下から一二三と上へ数えていくのを正しいと思う者はそれが正しいといえます。もし、中の孔から一二と数えたい人はそうしたらよいだろう。 私は下より上に一二三四と覚えたので下より数えるのが正しいと思っている。しかし、尺八の奥深いところを極めた時には、下を一とすべきことは自然に分かってくる。分かったならば、夢からさめたような感じでその意味が会得できるでしょう。 しかし、他の人がどう数えているのかは詮索しない。こういう議論はまったく時間も無駄というものだ。
(補注)
 著者の久松風陽は江戸後期・末期の琴古流尺八の名人ですが、彼は今と同じく下の孔より一二三四と呼んでいたことが分かりますが、そのころ、まだ確定はしていなくて、少々混乱していたことがこの本文から読みとれます。 しかし、これより百数十年前、おそらく元禄頃の虚無僧尺八の一番古い教本「三節切初心集」を見ますと、表の上の孔から下へ一二三四となっています。 また、一節切では1664年刊の「糸竹初心集」によりますと、この三節切初心集と同じく、表の上の孔から下へ一二三四となっています。

(#12)
△ 問 尺八は竹の本を用ひ、一節切は竹の末を用ゆ、本末の違ひいかなる事ぞ
○ 答 本末の違、大にして論ずるに足らず、人心の大なる、天地とともに廣し。然れども自縛して動くことあたわず、汝がごとき井蛙の論をなす、笑にたへたり。往古七節あるを尺八と定めたるも人ならずして何ぞや。
近世六節・五節あるを尺八と唱ふるも人ならずして何ぞや。今昔人心違ふ事なし。違ふ事有も道に熟せざるが故なり。節数長短は己が心に随ふを尺八とす。何ぞ竹形節数にかかわる事あらむや。事の実なるものは古きを破るべからず。 物の虚なるものは古きになずむべからず。禅器の尺八有、又遊戯の尺八有。禅器の尺八は虚なり。遊戯の尺八は実なり。遊戯の尺八をもて遊ぶ者多くして、禅器の尺八を学ぶ者稀なり。予は禅器の尺八を修行す。故に長短節数にかかはる事なし。
(訳)
・ 尺八は竹の根元を使って製作しますが、一節切は竹の上の方を使います。その根元を使うのと、竹の上の方を使うのとは、何か違いがあるのですか。
・ 竹の根元を使うのと、竹の末、すなわち竹の上の部分を使って製管するのとでは、全く違うのです。全く違うことは当然なので話にもならない。 人の心というのは大きく、目の前に広がる自然と同じように広い。 しかし、心は自分では移動はできない。だから物事をしっかり把握できないで乏しい知識などでものを考えるのは井の中の蛙のようなものだ。それがあなただ。まったく笑うしかない。昔から七節あるのを尺八と決めたのも人間だ。 最近六節や五節でできたものを尺八と呼ぶのも人間だ。今も昔も人の心というのは変わらないものだ。もし、今と昔では違っているというのであれば、それは尺八の修行が未熟だからだ。 尺八の節数や長い・短いというのは、自分が“良い”と思ったらそれでいいのである。だから竹の形や節の数を気にする必要は全くない。目に見える実体のあるものは旧来のものを変えてはいけない。 目に見えない真実のようなものは、従来の形や伝承に振り回されてはいけないのである。尺八には、禅器の尺八と遊戯の尺八というものがある。

 禅器の尺八は「虚」、すなわち目に見えない真実である。遊戯の尺八というのは目に見える実際の楽器としての尺八である。遊戯の尺八を弄ぶ者が多く、禅器の尺八を学ぶ者は少ない。 私は禅器の尺八を修行しているのである。だから見た目の長短や節の数には全く気にはかけないのである。
(補注)
 この久松風陽の文章をみますと、現在は完全に滅び去った「一節切」が、江戸末期でも比較的知られていて、しかもその製管方法まで知られていたことが分かります。 一般的に一節切は元禄頃(1700年)を境に滅んでいったと理解されていますが、楽器自体は江戸時代を通じて比較的身近だったのかも知れません。


(Part III)

久松風陽の「独問答」を読む(下:最終回)

付:江戸時代後半の基礎知識としての「虚鐸国字解」の紹介・頒布

(#13)
△ 問 曲数三十六曲はいづれの頃、定まりたりや
○ 答 三代目琴古、予に語て、表裏三十六曲・秘曲三曲共、初代琴古定めたり、といへり。是等は予が預る所にあらざれば知らず。
(訳)
・ 尺八の曲が三十六曲ありますが、それらはいつ頃定まったのですか。
・ 三代目の黒沢琴古が私(風陽)に語ったところでは、「表裏三十六曲・秘曲三曲はすべて初代黒沢琴古が定めました」と言っている。しかし、このことは私の取り扱う範疇ではないので、知らない。
(補注)
 初代黒沢琴古は宝永7年(1710年)生まれで明和8年(1771年)に没しています。この初代琴古が定めたのが今に伝わる琴古流本曲で「鹿の遠音」のような秘曲も含みます。 明和5年(1768年)の「江戸市中尺八指南者名簿」には初代とその子・2代目琴古(雅十郎)が載って居ますのでおおざっぱに見て1750年頃には琴古流本曲の内容がほぼできあがっていたと想像できます。 2012年の今の時点から見ますと約250年ほど前のことです。因みに孫の3代琴古に師事した久松風陽は天明4年(1784)生まれで明治4年の「尺八名家懇望人記」(尺八番付)に生存(87才)が確認できます。

(#14)
△ 問 曲に譜といへる物有。何れの頃、定まりたりや
○ 答 二代目琴古、門人一閑と譜を定めたりと聞けり。是も予が預かる所にあらざれば知らず。
(訳)
・ 尺八の曲に楽譜というものがあります。これはいつ頃定めたのでしょうか
・ 初代の子の二代目琴古が、門人の一閑と二人で楽譜を決定したと聞いています。しかし、これも私の範囲外なので知りません。

(#15)
△ 問 曲毎に譜面に違はず吹ものを上手とせんや
○ 答 然らず。譜面に不違吹者は、物覚へよき人にして上手とするに足らず、譜面の番人にひとし。わづかに三十六曲覚ゆるに難き事やある。大方の人だりとも一月に一曲は得べし。 上手は曲数にあらず、一曲の上にあり。三十九曲は三十六曲なり。三十六曲は十八曲なり。十八曲は三曲なり。三曲は一曲なり、一曲は無曲なり。無曲は気息なり。気息は只虚無なり。然る時は何ぞ曲数にかかわる事あらんや。
(訳)
・ (琴古流)三十六曲・秘曲三、それぞれ楽譜がありますが、その楽譜に忠実に間違わないで吹く奏者を上手というのでしょうか?
・ いや、そうではない。楽譜通りにきちんと吹けるだけの奏者は、単に物覚えがいい人間であって、上手とは言えない。丁度、楽譜の管理者のようなものだ。わずか36曲を覚えるのに、そう難しいことがあるだろうか。 だいたいの人は一ヶ月に一曲は修得するだろう。すると、一年12ヶ月だから3年もあれば充分覚えてしまうはずだ。上手な奏者というのは覚えた曲数に依るのではない。一曲を深く理解し、妙なる演奏ができる人を上手というのである。 三十六曲+秘曲三の39曲は36曲である。表・裏合わせて36曲は表だけの18曲といえる。その18曲は古伝三曲という普化尺八の根本曲である「虚空」「霧海」「虚霊」の3曲に含まれるだろう。 その3曲は、言ってみれば「虚霊」が代表するだろう。そしてその「虚霊」は無曲、すなわち“あるかないか漠然とした”響きだろう。そういう無曲は吹く人の禅的な気息、丹田より吐き出す気力の充実した息ともいえる。 その気息は形も色もない虚無であり、無いが故にこの宇宙に充満している力のようなものだ。その宇宙もしくは自然そのものと一体となることを修行の要(かなめ)としている尺八だから、曲数の多さなどは、まったく関係ないのである。
(補注)
 この訳はかなり飛躍し過ぎた感じですが、お読みになる人それぞれの解釈をしてください。

(#16)
△ 問 然らば譜面に違ふがよきや
○ 答 譜面に違ふは法外なり。譜を定めたるは尺八の乱るるを恐れてなり。初心より吹虚、己がほしい儘にする時は、竹音美しきに聞こゆれども、尺八の禅器たるを知る事なし。尺八を吹て尺八にあらざるを知らば、譜面にかかはるべからず。初心をして尺八の虚なるに導かん為に譜を定めたるものならむ。それを破るは法外ならずや。

(#17)
△ 問 それなら、楽譜とちがって吹くほうが良いのですか?
○ 答 楽譜を勝手に変えて吹くのはとんでもない間違いである。本来人から人へ口移しで伝えてきたものを楽譜にしたのは、尺八奏者が各自、勝手気ままに吹くことを恐れてそうしたのである。 初歩の段階から嘘を吹き、自分勝手に吹奏するのは、きれいな演奏に聞こえるのだけれど、尺八が禅の心を洗わす修行の器であることを知らない段階である。尺八を吹いているのだけれどそれが禅器の尺八でないならば、譜面などは不必要だろう。 しかし、それではなくて、初心者を、何ものにも束縛されない悟りの境地とでもいうべき尺八禅すなわち「虚」に導くために楽譜を定めたのだろう。だから楽譜を勝手に変えて好き勝手に吹くのはもってのほかなのである。

(#18)
△ 問 汝は譜面に不違吹や
○ 答 違はずして又大いに違へり。例へば汝も人、我も人なり。身体髪膚かはる事なくして又大いに違へり。これを以て譜面に違ふと不違との差別を思へ。
(訳)
・ あなたは譜面をそのまま違えずに吹くのですか?
・ 私は譜面に違わずに吹きますし、また大いに違って吹きます。たとえばあなたも人間、私も人間です。身体髪膚は全く同じであっても、また全く違うとも言えます。この例をよく考えて、譜面どおり吹かない、譜面通り吹くの差を考えなさい。

(補注)
 この内容は尺八に限らず、すべての音楽について言えます。すなわち、「かかれた音符をそのまま何も考えずに音に変換しただけでは音楽にはならない」ということだと思います。

(#18)
△ 問 然る時は何を以て、上手とも名人ともせんや、
○ 答 竹を活に扱ふもの、上手なり。名人は天然にして力の不及妙有、然れども学ばざれば名人の境界へ入る事能はず。我は竹となり、竹は我となり、虚に居て実に働くものをして名人とす。然る時は曲を吹毎に虚霊ならむ。虚霊の名を曲の要とするも虚なり。曲数に三の数をはなれざるも虚なり。虚無と号たるも又虚なり。虚に居て実に働くの修行は己と心とにあり。未練の輩に解難し。 (訳) ・ 譜面を単に音に変換しただけではどうしょうもないというのは分かりましたが、それでは、どんな風に吹く人を上手といい、また名人というのでしょうか?
・ 尺八を活(い)かすように吹く人が上手なのである。名人というのは自然体のままで普通の人の及びもつかないもの(妙)がある。 それにはまず、尺八を吹き学ばなければそういう名人の境地へ入ることができない。その境地とは、自分が尺八になり、尺八は自分になり、自己と尺八の境目がない「虚」の状態になり、しかも実際に音として素晴らしい演奏になっている境地なのであり、 それが名人の演奏といえる。その状態では、演奏する曲がすべて虚霊となる。だから虚霊と名の付いた曲(たとえば「真の虚霊」)を重要と考えるのも「虚」という境地が大事だからだ。三虚霊というのもこの「虚」が大切だからだ。 虚無僧の「虚無」も「虚」に依っている。すべてを超越したような「虚」の境地にあって、しかも実際の尺八演奏の音もそれを表現しているという段階に至るには、自分の体と心の修行によるのである。このような高度な話は未熟な奏者には理解できないだろう。

(補注)
 ちょうど、この末尾の「未熟な奏者には理解できないだろう」に私は補足したいと思います。こうです。
「名人の境地というのは未熟な奏者には理解できないが、その未熟な人も修行・練習を重ね、適切な指導者に恵まれればいつかかならず理解できるようになるし、またその人自身、名人にもなれるかも知れないのである」

(#19)
△ 問 当世、名人ありや
○ 答 一人もなし。其修行を知る人だに見当たらず。
(訳)
・ 今現在、そんな高い境地を会得した名人がいますか?
・ 一人もいない。その名人に至る修行法を知っている人すらいない。

(#20)
△ 問 汝は名人成や、上手なりや、又下手なるや。
○ 答 予は名人なり、上手なり、又下手なり、名人の境界を知て入事不能、上手の場所を修行して至らず、極めて下手ならずや。
(訳)
・ あなたは名人ですか、上手でしょうか、また下手なのでしょうか?
・ 私は名人であり、上手であり、また、下手ともいえる。名人という境涯を知っているがそこに入ることができないし、上手と言える段階を目指して修行しているが、まだそこまで至って居ない。だから極めて下手ともいえる。

(補注)
 ここの文章は極めて微妙です。一旦「俺は名人だ」と宣言しているのは、久松風陽の一つの本音だと私は思います。琴古流中興の祖といわれるほどの技量だったのですから、自分の尺八演奏がどのくらいかは客観視できたはずです。 しかし、「俺は名人だ、ほかの連中は下手だ」ではお山の大将俺一人となり、あまりにも子供っぽ過ぎますから「俺は極めて下手なのだ」と付け加えています。
 当然次の質問は「あなたは名人と賞賛されていますが」という前提で始まります。

(#21)
△ 問 当世、汝と誰とか比せむ。
○ 答 誰と比すとも、予、必ず及ばず。予と心と比すとも、予、心に及ばず。こころ又、予に及ばず。況や人と比すをや。思志念慮、皆予に随ひ一に帰す時は、予自ら上手とも名人ともならむ。 唯心と予と道を修行して期の至るを楽しむ。夢々世人にかかはる事なし。竹に対して竹を吹くのみ。
(訳、省略)
(本文)問ふ人、黙居して口を噤む。

 ここに於いて、ひとり(独)問答の号をかうむらしむ。いかにせん、紙墨を費すの多罪を嗚呼。

 文政六年甲申年暮秋 江戸隠士風陽菅定晴述

(補注)
 文政六年=西暦1823年(この年7月、シーボルトが日本に着任) 


【江戸時代後半の基礎知識としての「虚鐸国字解(中巻)」(現代仮名付)の紹介・頒布】

 「独問答」の全文をお読みいただき、どんなご感想をお持ちになられたでしょうか。

 今回、この価値ある文献中、出来るだけ(訳)や(補注)で、その当時の常識を踏まえて説明させていただきました。しかし、あまりに煩雑になりますので解説は最小限にとどめました。

 たとえば、問として「普化禅師はいかなる人ぞ」とあります。そして次の問では「普化は尺八の祖ならずや」と、質問者自体「尺八の祖は普化禅師」ということを予め知っていることになっています。 また、今月号で「三曲」というのを私が平気で「霧海」「虚空」「虚霊」と訳したのも、これが「古伝三曲」として重んじられているという“常識”からそうしました。

 この江戸時代における尺八の常識に触れるのに最適の文献が「虚鐸国字解」(上・中・下、江戸時代後期刊)です。このうち、中巻が普化禅師の説明、古伝三曲の由来等々が述べられています。体裁は漢文(レ点、返り点有り)でその説明を日本文で割り入れています(ですから、国字解)。ただ、残念ながらその大事な日本文が江戸時代の変体仮名でかかれていますので一般の人には読みづらいと思います。しかし、尺八愛好家の方には是非一読してほしいと考えまして、原文枠のそとへ、現代仮名をつけました。

 もちろん、この「虚鐸国字解」の内容はすべて歴史的事実とは限りません。云ってみれば「尺八歴史物語」とでもいいましょうか。たとえば南北朝時代、虚無という名の虚無僧が南朝の楠正勝で、その挿絵が江戸後期の天蓋を被っているというのは今から見れば、歴史的事実とはいいにくいでしょう。虚無僧は元禄ごろはまだ深編笠をかぶり、顔はかくしていないのですから。(人倫訓蒙図彙)

 しかし、江戸時代の人々が「そう思っていた」ということは歴史事実です。江戸時代の人の心をさぐるというのも、 これまた大切なことですので「虚鐸国字解」は偽書であるにもかかわらず、現代の尺八吹きの重要文献だと思います。
 いずれにしましても、これは私のところへ稽古にきて「霧海鈴慕」を勉強している方々のために作成したものですが、尺八吹奏研究会参考資料として頒布もしたいと思います。

 体裁:A466ページ(紙ファイル綴じ済み)

注:国字は欄外に現代仮名に直して印字

頒価:千円(送料込み)

 申込法:ハガキに「虚鐸希望」と明記し、住所、氏名をお書きの上、事務局までお送りください。代金は資料到着後、郵便為替にて折り返し、お送りください。


Copyright © 2012 by Kishi Kiyokazu. Presented here with the authorø's permission as of May 7, 2015.

Kishi Kiyokazu publications about shakuhachi playing

Kishi Kiyokazu has also published two tutorials about shakuhachi playing



ADDITIONAL INFORMATION

An English translation by Robin Hartshorne and Kazuaki Tanahashi can be found online here, at komuso.com: Hisamatsu Fūyō
The translation was originally published in “The Annals of the International Shakuhachi Society Volume 1”, ed. by Dan E. Mayers, publ. by the International Shakuhachi Society, Sussex, England, 1990.

The original text can be found reprinted in this essential "classical" shakuhachi publication, on pages 209-215:

     Kurihara Kōta: Shakuhachi shikō. Chikuyūsha, Tokyo, 1918 & 1975.

In 1983, Andreas Gutzwiller introduced all Hisamatsu Fūyō's 3 shakuhachi essays to German-reading audiences in this important publication of his:

     Andreas Gutzwiller: Die Shakuhachi der Kinko-Schule.
     In the series 'Studien zur traditionellen Musik Japans, Band 5.'
     Bärenreiter - Kassel, Basel, London, 1983.


The Hitori mondō essay is also presented on Yamaguchi Raimei's website:
Yamaguchi Raimei: Hisamatsu Fūyō


English translations of Hisamatsu Fūyō's shakuhachi writings can, furthermore, be found via these three links:

Hitori mondō, 独問答, 1823

Hitori-goto (Hitori kotoba), 独言, before 1830

Kaisei hōgo 海静法語, before 1830





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